チリ近海で起きた巨大地震に伴う津波によって、現在の名護市真喜屋で3人が死亡した1960年のチリ地震津波から24日で60年となる。

県内では同市大浦で4・73メートルの津波を記録するなど、本島中北部を中心に浸水し、橋や道路、家屋が決壊した。真喜屋で津波を経験した伊差川政男さん(77)=名護市仲尾次=は「この日に何が起きたのかを学校や家庭で語り継ぎ、津波の怖さを記憶に刻み続けてほしい」と話す。

■異変

伊差川さんは当時17歳。真喜屋小学校の世話人(用務員)だった。ゴウゴウというジェット機のような不気味な波音で目を覚ましたのは、宿直明けの午前5時20分ごろ。

護岸では海が濁り、奥武橋に目を向けると見たことのない勢いで内海から潮が引いていた。同僚の宿直と橋の上まで見に行き、戻ろうとしたところで1回目の津波が来た。引いていたはずの潮がみるみる膝の下まで満ちてきて、同僚と手を取り合い校長住宅へ急いだ。

異変を知らせ、校長らと護岸を見に行くと、潮は再び遠くへ引いていた。強い津波が来たのは午前6時7分ごろ。職員室の窓ガラスの鍵を開けようとして海を見た時だった。

沖から波がしぶきを上げて押し寄せてくる。急いで職員室を飛び出し、校庭を走り抜ける。振り向くと波が迫っていた。校長住宅にいた先生の娘をおぶって田んぼの中道を駆け抜けた。

■教訓

約200メートル走って現在の国道58号付近までたどり着き、難を逃れた。

しばらくは足がブルブルと震えて動けなかったという。潮は引いたり満ちたりしながらやがて収まった。

真喜屋では逃げ遅れた17歳の少女と祖母(76)、近所の女性(86)が死亡。奥武橋や屋我地大橋は全壊し、真喜屋小学校も校舎が壊され使用不能になった。学用品や書類も流出した。

伊差川さんは「児童が学校にいる時間だったらと考えるとぞっとする。教訓は大なり小なり生かされていると思うが、5月24日を大切に語り継ぎ、もしもに備えてほしい」と話した。

チリ地震津波とは  1960年5月23日午前4時11分(日本時間)、チリ沖で観測史上最大となるマグニチュード9・5の地震が発生。津波が太平洋を横断し、約23時間後に日本の太平洋岸全域に達した。体感する揺れがない「遠地津波」で、岩手や宮城など全国で死者142人を出した。県内でも名護市で3人が死亡。本島中北部を中心に橋の流出破壊や道路決壊、家屋が全半壊するなどの被害が出た。(2020.5.24(日) 10:50配信 沖縄タイムス)

チリ地震から60年が経過しました。その後阪神淡路大震災、東日本大震災、北海道胆振地震などか発生し多くの犠牲が出ました。そして今、コロナウイルスが世界中を蔓延しています。そのことで防災対策の方向性も大きく変わろうとしています。我々人類は自然の力には勝てません。しかしながら尊い命を災害から守る努力は続けていかなくてはならないのです。