東日本大震災から9年8カ月。

復興が進む宮城県気仙沼市で14日、保存のため移設中の民間震災遺構「阿部長商店 ホテル観洋創業者宅」で伝承活動が行われ、参加者約40人が語り部らの話に耳を傾けた。

遺構がある内ノ脇地区は津波で壊滅的な被害を受け、人が住むことのできない災害危険区域に指定された。

「命のらせん階段」と呼ばれる遺構の外階段は、1960年のチリ地震による津波で被災した創業者が、周囲に高台がない同地区の住民のため避難経路として震災の5年前に設置した。

自治会で避難訓練を重ねていたことが奏功し、震災時に約30人が階段を使い屋上へ逃れ、命をつなぎ留めた。

市は住民が離れた同地区の移転跡地を利用して公園を整備しており、区画整理のため建物は取り壊される予定だった。

創業者の娘で、南三陸ホテル観洋のおかみの阿部憲子さん(58)は「私が父から教わったように、津波の教訓と、防災における自助、共助の大切さを後世に伝承したい」と保存を決断した。

市の協力を受け、自らも費用を負担して、約80メートル先の公園に隣接する市有地に建物を移設する。

語り部としての活動を続ける阿部さんは遺構を見ながら、「私たちは次の世代に、『震災があったけれども、あの時の大人たちは助け合って避難したんだよ』と背中を見せなければ」と話した。(2020.11.15(日) 9:32配信 JIJI.COM)

災害語り部の存在は大きな意味を持ちます。過去の事実と経験は必ず現代にそして未来の防災に役立ちます。神社のお祭りは神事であること以上にその地域で暮らしている人たちの防災訓練にも一役をかっていました。昔から受け継がれているものは意味があります。現代ではSNSが発達し近隣の人たちとのコミュニティーが希薄化しています。今一度お祭りなどの地域の行事を見直してみてはいかがでしょうか。